渋谷ヒカエリの8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Galleryで建築のグループ展「happy talking」がはじまりました。私たちムトカ建築事務所は、3つの小さな住宅の30分の1模型を展示しています。これらはすべて、木造2階建て、延床面積70㎡強と住宅としては小さなものです。その小ささゆえに魅力がぎゅっと詰まっています。模型だけでは汲み取ることが難しいその魅力を、N邸は杉戸洋さん、赤い別邸は桑久保徹さん、オイルハウスは山本桂輔さんに「絵」として抽出していただきました。この展示から、図面や写真だけでは伝えられない建築の、モノとしての質、空間の質、を感じていただけたらうれしいです。会期は2014年4月16日(水) – 2014年4月28日(月) 。4月22日(火)
には出展者4組によるトークイベントも開催されます。ぜひご来場ください。

TOTO通信2014年春号に記事が掲載されました。「師と弟子」という特集号で、青木淳さんとムトカの村山が取り上げられています。青木さん× 村山×加藤の座談会の記事と共に、N邸の取材文と最近の写真も掲載されています。機会があればぜひご覧ください。

謹賀新年

Date : 2014.1.6

大掃除

Date : 2013.12.29

あいちトリエンナーレに行ってきました。メイン会場が5つあって、それぞれコンテクストに特徴があり、とてもバラエティーに富んだ美術展になっていました。青木さんと杉戸さんの名古屋市美は、嫌悪してしまうような建物でも嫌うことなく愛でることからスタートする、その姿勢が見事に結実していて、普段はとても 厳格な美術館なんだろうけれどそこに厳格のげの字もなく、子供たちが無邪気に走り回るほど健やかな建物にリノベーションされていました。美術展に建築家が作家として参加する際にぶつかる「何をもって建築的成果を美術作品とするか」というジレンマに対して、空間の質をリノベーションする、その行為自体を美術作品とすることはむしろ、美術展での建築家の自然な振舞いに感じられました。2011年春に青森県美で開催される予定で中止となった『はっぱとはらっぱ』のスタディの賜物。次の展開が楽しみです。納屋橋会場は、映像作品がどれもおもしろく、そう思っていると突如裏の空間に青木野枝さんの作品が現れたりと、元ボーリング場でその後住宅のモデルルームとして使われていた建物がうまく使われていました。長者町会場では、山下拓也さんとケーシー・ウォンさんがよかったです。芸術センターは、いわゆる普通のホワイトキューブで、そういう意味でより作品自体の強度が問われていたように思いました。そのなかで、米田知子さんと宮本佳明さん、ニコラス・ヴォストさんは抜きん出ていたように思います。岡崎会場は、少し距離があることもあり敬遠しがちになりますが、ここを行かずしてはならない会場です。ショッピングセンターであるシビコでの展示は、どの作家も平らに広い空間をみごとに使いこなしていて、それぞれの作品自体もそうですが、会場全体でのバランスが秀逸でした。特に志賀理江子さんの展示は、大きな写真パネル自体で展示空間を構成し、建築的巧みさをもった展示だと感じました。その他では、アリエル・シュレジンガーの二律背反的作品がわかり易さなかにも複雑性を孕んでいて、興味深い作品でした。駆け足でめぐった2日間でしたが、あいちトリエンナーレは都市で開催することのメリットをうまく取り込んでいて、美術作品がもつさまざまな側面がバランスよく感じられる美術展でした。

僕の働いていた青木事務所では、完成した建物を建築写真を専門とする方以外の写真家さんに撮っていただくことが多くありました。担当していた青森県立美術館でいうと鈴木理策さん。撮影は開館を半年後に控えた冬の延べ6日間、僕はそのすべてに同行してカメラの後ろでその光景を眺めていました。理策さんの写真は一続きのストーリーが感じられますが、その撮影は、一切後退はせずにひたすら前に進んでその時その瞬間に気になる事物を見つけて撮る、そしてまた前に進む、というものでした。こうした撮影方法によって、ある視線をもったロードムービーのような写真を生み出していました。この場合、建物である青森県立美術館は背景として写真に収まり、連続する写真の束によって青森県立美術館特有の空間の質が伝えられています。 住宅mでは鈴木心さんに撮ってもらいました。心さんの写真は、完成された1点の作品にするのではなく、また構図や色が美しい写真を撮るのでもない、視線が感じられないようにあえて構図をわからないようにすることで日常を切り取ることを試みている写真家さんです。心さんの撮影では、僕が建物を案内をしている2時間、50mmの単焦点レンズのデジカメでシャッターを切りまくっていました。ここぞというシーンは撮らずに気になった事物を撮られていたと思います。数日経って送られてきたのは600枚を超える画像データでした。それは心さんが家を出るところからはじまり、その流れでmが登場して帰宅する途中までの出来事が収められていました。日常のなかに挿入されたm(建築)が非日常にうつるのではなく、それもまた日常であることを感じさせるものでした。建物の成り立ち、空間構成を伝えるための建築写真とは大きく異なり、空間に漂う空気感だけが撮られていました。 お二人の仕事を間近で目撃できたことは建築写真のあり方はもとより、建築のつくりも変えられるでは、と思えるものでした。そして事実、勇気をもらったように思います。劇的な空間構成や光の入り方、構図が美しい建築ではなく、もっと当たり前の建築的要素を丁寧に扱うことで新しい建築を創造し、伝えたいと考えている僕たちにとっては、建築写真もまた、今までとは違ったものでなくてはなりません。まだまだ試行錯誤の状態ではありますが、まずは僕たちが一番気を使っている建築の手触りや息づかいのようなものを捉えられるような写真を、自分たちで撮れるようになれればと思いながら、今、カメラを構えています。