僕の働いていた青木事務所では、完成した建物を建築写真を専門とする方以外の写真家さんに撮っていただくことが多くありました。担当していた青森県立美術館でいうと鈴木理策さん。撮影は開館を半年後に控えた冬の延べ6日間、僕はそのすべてに同行してカメラの後ろでその光景を眺めていました。理策さんの写真は一続きのストーリーが感じられますが、その撮影は、一切後退はせずにひたすら前に進んでその時その瞬間に気になる事物を見つけて撮る、そしてまた前に進む、というものでした。こうした撮影方法によって、ある視線をもったロードムービーのような写真を生み出していました。この場合、建物である青森県立美術館は背景として写真に収まり、連続する写真の束によって青森県立美術館特有の空間の質が伝えられています。 住宅mでは鈴木心さんに撮ってもらいました。心さんの写真は、完成された1点の作品にするのではなく、また構図や色が美しい写真を撮るのでもない、視線が感じられないようにあえて構図をわからないようにすることで日常を切り取ることを試みている写真家さんです。心さんの撮影では、僕が建物を案内をしている2時間、50mmの単焦点レンズのデジカメでシャッターを切りまくっていました。ここぞというシーンは撮らずに気になった事物を撮られていたと思います。数日経って送られてきたのは600枚を超える画像データでした。それは心さんが家を出るところからはじまり、その流れでmが登場して帰宅する途中までの出来事が収められていました。日常のなかに挿入されたm(建築)が非日常にうつるのではなく、それもまた日常であることを感じさせるものでした。建物の成り立ち、空間構成を伝えるための建築写真とは大きく異なり、空間に漂う空気感だけが撮られていました。 お二人の仕事を間近で目撃できたことは建築写真のあり方はもとより、建築のつくりも変えられるでは、と思えるものでした。そして事実、勇気をもらったように思います。劇的な空間構成や光の入り方、構図が美しい建築ではなく、もっと当たり前の建築的要素を丁寧に扱うことで新しい建築を創造し、伝えたいと考えている僕たちにとっては、建築写真もまた、今までとは違ったものでなくてはなりません。まだまだ試行錯誤の状態ではありますが、まずは僕たちが一番気を使っている建築の手触りや息づかいのようなものを捉えられるような写真を、自分たちで撮れるようになれればと思いながら、今、カメラを構えています。

写真で建築を伝えること

Date : 2013.8.14